博水道場剣道部の歴史

博水道場少年剣道部の歴史

◆創立

昭和43年5月に博多水上警察署(現博多臨港警察署)少年育成委員会は、青少年の健全育成を図るために、防犯協会および大浜公民館長に働きかけ、「博水道場少年剣道部」を創立した。

初代部長には当時剣道七段であった三好淳一郎先生(後の範士八段)を招へいし、大浜校区の少年補導員であった井田和利先生、三好先生の福岡商業の後輩であった山田孝雄先生も指導陣に加わった。博多水上警察署からは粟田先生が道場の運営及び管理にあたった。

後に山岡悟先生や現相談役である寺師幸雄先生も、新進気鋭の警察官として稽古に参加した。

福沢諭吉の「心訓」を道場訓とし、稽古の終了時には全員で唱和した。

現在では田中寛先生が指導していた「清士館」で、その伝統が受け継がれている。

◆年表

●昭和42年頃

・博多二中(現博多中学)剣道部の顧問であった中村久一郎先生(玄辰館道場の創始者)は、博多水上警察署の道場を借りて、博多一中、二中の剣道部員を集め指導を行っていた。

●昭和43年5月

・三好淳一郎先生を指導者に迎え、「博水道場少年剣道部」を創立する。

金林成男、栗山信浩らは博水道場少年剣道部の1期生である。

●昭和43年後半

・創立から約半年後に、防犯協会より30組の少年用防具が寄贈される。

・三好先生は、右武館の大浦芳彦先生、玉龍館の篠原士榮先生、大野北剣道スポーツ少年団の堤富雄先生と連携し、4道場による錬成稽古会を開始した。

その後、西新剣道スポーツ少年団や警固少年剣道部などが加わり、「福博少年剣道錬成大会」に発展した。

同大会は参加チームの入れ替えはあったものの現在まで引き継がれており、令和4年には143回を数える歴史ある大会となっている。

●昭和44年

・筥崎宮奉納大会で3位となる。 これが博水道場初の公式試合入賞であった。

 メンバーは小学生2人(山田・山岡)、中学生3人(大浦・佐藤・藤田)の混成チームであった。

・RKB毎日放送のテレビ番組「リビングショー」に出演。

・平和台球場で開催された野試合に出場する。

・納会で級制度を始め、級別に面紐の色を決める。

1級 紫 2級 茶 3級 赤 4級 青 5級 黄 6級 緑

●昭和45年

・護国神社奉納剣道大会小学生の部において、決勝戦で春日原剣道錬成会に敗れ準優勝となる。以降、右武館・玉龍館・春日原剣道錬成会らと共に強豪道場の仲間入りを果たす。

・中学生の部は3位に入賞する。

●昭和46年

・福岡市剣道祭中学生の部で博水道場初の団体優勝を飾る。

・部員の増加に伴い「那の津剣友会」を設立。

●昭和47年4月

・福岡市が政令指定都市となり博多区が誕生し、博多区剣道大会が開催される。

・博多区の剣道連盟初代会長には、黒木一夫福岡県議会議員が就任し、福岡錬心館の高松先生らとともに博多区の道場を中心とした「剣心錬成大会」を始める。

同大会は今でも東体育館で年1回開催されており、令和4年で62回目となる。

●昭和47年7月~

・7月30日に日本武道館で行なわれた「第7回全日本武道錬成大会」に初出場。

全国大会に出場するために「福岡 博水道場」のゼッケンを新調する。

・中学生の部では、パート準決勝戦で京都弘道館に敗れ3位入賞。

・玉龍杯争奪少年剣道大会において3位入賞。

・名島剣道大会中学生の部で優勝。

・筥崎宮奉納大会において那の津剣友会が初優勝を飾る。

・RKB毎日放送のテレビ番組「奥様8時半です」に出演。

●昭和48年7月

・博水道場の中学生(吉田和、田中真、安河内宏、中野博)が博多二中の選手として福岡市大会で優勝。 県大会では3位入賞を果たし、九州大会に初出場する。 

●昭和49年~50年

・栗山信、吉田恭、北島剛、草場浩、森田一らを中心とし、護国神社奉納大会、筥崎宮奉納大会、少年玉龍旗、全日本少年剣道錬成大会など数々の大会に入賞し、黄金時代の幕が開ける。

●昭和50年

・福岡・佐賀・大分・熊本の有力道場を集めた「近県少年剣道大会」を福岡武道館で開催。

この大会は約10年続いた。

●昭和51年

・中学生は3年生の岩城・田中健・森田・野田・古賀、2年生の天野・柴田成・谷川・内山、小学生は6年生の上野訓・栗原・柴田喜、5年生の栗山太・金丸らが主軸となり、主要な大会は悉く入賞する。特に栗山太・金丸は、剣道界のK・Kコンビと呼ばれ、各道場から注目を浴びていた。

・試合には「博水道場」「那の津剣友会」「若水道場」、「石城道場」の名前で最大4チームを出場させた。

●昭和51年8月

・玉龍杯争奪少年剣道大会小学生の部において準優勝。

●昭和53年1月

・福岡市民体育館第2体育館において、博水道場10周年記念剣道大会を開催。

 野田輝幸が松口月城作「博水道場少年剣道部の謠」を吟じる。

●昭和53年4月

・三好先生は中洲の伊藤忠先生と連携し、冷泉小学校で「冷泉剣友会」を設立する。

・三好先生は、月・水・金・日に博水道場、火・木・土に冷泉剣友会の指導を行っていた。

●昭和54年2月

・天神旗剣道大会小学生の部において、3位入賞。

●昭和54年7月

・全日本少年剣道錬成大会中学生の部においてパート優勝を飾る。

・各地の道場から大会参加の招待を受け、東京からの帰路に、岡山の連淨寺大会、広島の三次大会に出場するなど、全国に「博水道場」の名を轟かせる。

●昭和55年

・第1回沖縄剣道大会(九州大会)で優勝。

 以降、沖縄大会は3年ほど参加し、準優勝、3位となる。

●昭和56年4月

・博多水上警察署が管轄区域の拡大に伴い、博多臨港警察署と改称する。

●昭和56年5月

・三好先生が京都において最大の難関である剣道八段審査に合格する。

・三好先生は大人の指導を目的とした「博土会」を立ち上げる。

この稽古会は、伊藤忠先生、堀内正雪先生・内海正二先生・朝霧栄作先生・田中健一先生らによって引き継がれており、現在では、毎週月曜日に博多高等学園にて行われている。

●昭和57年

・博水道場少年剣道部創立15周年記念剣道大会を九電記念体育館で開催する。

・佐賀県北茂安町で行われた大麻旗剣道大会小学生の部で準優勝。

・有馬淳・志岐・柴藤・濱田・松隈隆・河野義・藤松伸らの時代には、部員が100人を超え、練習時間を3部に分ける等の工夫を行った。

・雁の巣で博水道場の部員および家族による「大運動会」を開催する。

●昭和58年

・大分県三芳町で行われた九州大会で中学生が準優勝。

・右武館主催の全日本剣道大会小学生の部で3位入賞。

・警察署の建て替え工事により、奈良屋小学校(現博多小)で稽古を行う。

・「若水道場」「石城道場」を統合し、「奈良屋少年剣道部」とした。

●昭和58年8月

・玉龍旗杯争奪少年剣道大会には、「博水道場」「那の津剣友会」「奈良屋少年剣道部」の3チームが出場した。

●昭和59年

・春日原剣道錬成会創立20周年記念剣道大会中学生の部で優勝を飾る。

・全日本少年剣道錬成大会小学生の部でパート3位に入賞。

岡山県の連淨寺大会、広島の三次大会でともに3位入賞を果たす。

メンバーは、有馬拓、井上明広、杉谷、藤松能、西尾らであった。

●昭和59年10月

・博多臨港警察署の庁舎新築に伴い道場が移転する。

●昭和60年1月

・近県少年剣道大会中学生の部で3位入賞(河野義、藤松伸、後藤、河野克、播重)。

●昭和60年5月

・三好先生が範士の称号を受けられ、博多区中洲の「鹿鳴春」において、祝賀会を開催する。

●昭和63年

・都市部のドーナツ化現象により部員の減少に歯止めがかからない状態が続く。

●平成3年

・田中寛先生が三好先生の指導の下、剣道七段審査に合格する。

 田中先生は初段から七段審査まで、全て1回で合格する快挙を成し遂げた。

●平成7年

・井田和利先生が2代目部長となる。

・部員の減少により、試合に出場できないこともあった。

●平成9年

・井田先生の体調不良により指導者が不在となり、道場閉鎖の危機を迎える。

・平石隆紀後援会会長および山西博之・松崎常雄顧問らは「博水道場の灯を消してはならない」との強い思いから、警察官OBである寺師幸雄先生に白羽の矢を立て、博水道場の再起を図った。

●平成9年4月20日

・寺師幸雄先生が第三代目部長に就任。後援会会長には西郷宜久氏が就任した。

・寺師先生が引き継いだときは、部員がわずか4名(木戸大、松崎芳、宮崎有、松本昌)であった。●平成9年5月

・梅野翔太、是石允垠、堀太郎、西郷太樹、小磯享平、是石秀垠、田中銀士郎が入部し、新生博水道場がスタートする。堀、田中は初のOB2世剣士であった。

●平成10年4月

・博多部の4小学校が統合され、博多小学校となる。

●平成11年10月

・護国神社秋季奉納剣道大会のパート決勝戦で今宿少年剣道部と対戦し、代表戦に持ち込む等、徐々に博水道場復活の兆しを見せる。

●平成12年4月

・部員が30人を超え、博多区最大の道場となる。

●平成12年10月

・第1回福岡県女子剣道大会、日本剣道形中学生の部において、安河内由佳が優勝。

●平成15年1月19日

・寺師先生により「博水だより」第1号が発行される。以来、病気で入院される27年の11月までの長きにわたり続けられ、バックナンバーは188号を数えた。

●平成15年4月

・福岡市女子剣道大会で3位となる。(福田友花子・堀ももか・田中香保)

●平成15年6月

・福岡市民総合スポーツ剣道大会において中学生の部でベスト8となる。

●平成15年10月

・護国神社秋季奉納剣道大会においてベスト6となり敢闘賞に輝く。

●平成16年1月

・福岡市民体育館にて博水道場創立35周年記念大会を開催し、博水道場の復活を示した。

・創立35周年を機にOB会組織を立ち上げ、初代会長に金林成男先輩が就任。

●平成16年

・三好先生ご逝去。

●平成17年3月20日

・午前10時53分、福岡県西方沖地震が発生。当日は福岡市東区の東体育館で剣心錬成大会が行われていたが、天井の照明が落下するなどの被害が発生したため、大会が急遽中止された。

●平成18年3月

・東月隈剣道クラブ創立30周年記念大会において優勝。

●平成19年6月

・博多臨港警察署主催の第1回博多臨港少年剣道大会が開催される。

●平成19年11月

・JA福岡市少年剣道大会でベスト8となり、県大会に出場。

●平成20年8月

・福岡武道館にて博水道場創立40周年記念大会を開催。

 中学生の部で博水道場が優勝(安河内嵩、酒井健、福田由、播重研、白石健)。

 準優勝 須恵剣友会 3位 今宿少年剣道部 無名塾

 小学生の部 優勝 須恵剣友会 準優勝 玄辰館 3位 今宿少年剣道部 福岡十生館

●平成20年11月

・寺師先生が瑞寶雙光章受勲。 皇居にて天皇、皇后陛下に拝謁する。

●平成21年1月24日

・寺師幸雄先生の瑞寶雙光章受勲記念祝賀会を川端福寿飯店にて開催。

●平成21年5月

・護国神社春季奉納剣道大会において、今宿・如水館に次いで3位入賞。

●平成21年5月

・福岡市剣道交流大会中学生の部において3位入賞。

●平成21年7月

・福岡市中体連で博多中が3位入賞。

●平成21年11月

・玄海旗争奪剣道大会中学生の部でベスト8.

●平成22年5月

 ・護国神社春季奉納剣道大会において敢闘賞(ベスト6)受賞。

●平成22年8月

・第45回少年玉龍旗大会 ベスト8

・少年玉龍旗での健闘が認められ、全国の強豪である東レ居敬堂から愛知県で行われる全国大会へ招待される。

道場連盟に加入していない道場への招待は異例のことであった。 

●平成24年9月

・小磯清先生が四代目部長に就任し、 寺師先生は相談役となる。

●平成25年5月

・護国神社春季奉納剣道大会中学生の部においてベスト6(敢闘賞受賞)。

●平成25年6月

・博多中学校にて博水道場創立45周年記念大会を開催。

 小学生の部 優勝 志賀剣友会 2位 多々良少年剣道部 3位 玄辰館 名千城少年剣道部

 中学生の部 優勝 名千城少年剣道部 2位 博水道場 3位 香椎東 志賀剣友会。

●平成25年7月

・中体連福岡市大会で3位となり、県大会出場。

●平成26年3月

・卒業生5名(榊俊郎、阿部隆之助、早川直輝、岡本剛、水野裕太)により、打込み台「博士くん」が贈呈される。

●平成26年11月

・小磯部長が剣道七段審査に合格する。

・以降、平成28年に安河内副部長、平成29年には福田副部長が七段を取得。

●平成30年4月

 ・博多臨港警察署の藤森教師八段が指導に参加される。

●平成30年10月20日

・50周年を機に、OB会会長に栗山太先輩が就任。

・博水道場創立50周年記念親善剣道大会を福岡武道館にて開催。

 小学生の部 優勝 大野北スポーツ少年団 準優勝 玄洋少年剣道部 

         3位 青木剣友会 山口剣友会

 中学生の部 優勝 若舞少年剣道部 準優勝 今宿少年剣道部

3位 大野北スポーツ少年団 春日剣道若水館

・博水道場創立50周年記念祝賀会をホテルオークラ福岡にて開催

●平成31年4月

・OB会長に西尾清人先輩が就任。

●令和4年9月

・福田副部長が警視正を任じられ、小倉北署署長に就任。